夕食をとりながらダーウィン湾をめぐるダーウィン・ハーバー・サンセット・クルーズ*¹に乗船した。前回述べたように、この街のビーチにはイリエワニ(ソルトウォーター・クロコダイル)が出没する。油断は禁物である。が、クルーズ船のデッキで夕風に吹かれながらスパークリングを飲むうちにすっかりワニのことは忘れてしまった。
船内アナウンスがダーウィンの地理と歴史について解説する。ダーウィンはノーザンテリトリー準州(州に準じた独立自治権を持つ)の州都で人口は約14万人。この数字は小さく見えるかもしれないが、それでも準州の総人口の6割ほどに当たる。人口の約4分の1をアボリジナルの人々など先住民が占めるのもこの町の特徴である。
1839年に英国海軍のビーグル号に乗ったジョン・クレメンス・ウィッカム船長がここの入り江にやって来て、進化論で知られるチャールズ・ダーウィンにちなんでポート・ダーウィンと名付けた。船長と自然科学者は、ひとつ前の探検航海でビーグル号に同乗した旅仲間であった。ただしダーウィン自身は、この町を訪ねたことがないという。この辺りの熱帯の動植物が彼の研究に大きな示唆を与えたに違いないのに。
海の上から眺めると、夕日を浴びて平和そのものに見えるダーウィンの街並みだが、第二次世界大戦中には日本軍による度重なる空爆で壊滅的な打撃を受けたことがある。そのことを、ビュッフェのオイスターに舌鼓を打ちながら、船内アナウンスで聞かされるのは日本人として微妙な気分だったが、きっとこういう経験をすることも旅することの意味の一つなのだろう。人は人を殺めてはならない。戦争という人の最も愚かなふるまいは、いかなる理由があっても肯定してはならないとの思いを新たにした。
翌朝、迎えの車に乗って東に向かった。目的地は3時間のドライブの先、カカドゥ国立公園の境界に近い氾濫原に開かれたサファリ・スタイルのリトリート「バムルー・プレーンズ*²」である。
Googleマップにも、この場所のことは載っていない。現地にはWi-Fiはおろか電話さえ通っていないという。そこで、われわれは「やつ」、すなわち全長7mの巨大ワニと相見(あいまみ)えることになるのだ(きっと)。
車はほとんどカーブもアップダウンもない舗装路をひた走った。路傍にはユーカリの疎林が広がる。墓標のように点在するのは、人の背丈の3倍ほどもある巨大蟻塚だ。ときおりブッシュファイヤー(森林火災)で焼け野原になった場所がある。油分に富むユーカリの葉は一旦火がつくと激しく燃え盛るのだ。車のウインドーを閉めていても、焦げた樹木の臭いが車内に入り込んでくる。8月後半、乾季の真っ只中であった。
枯れ色の未開の土地が突然途切れ、一面に緑濃い低木が整然と並ぶエリアに差し掛かった。ドライバーによると、それはマンゴーの畑であるという。オーストラリア産マンゴーというのはあまり馴染みがないが、トップエンド(ノーザンテリトリーの北部)が熱帯サヴァナ気候であり、すぐ北の海上には東ティモールやインドネシアの島々が浮かんでいることを思えば、車窓に展開する風景にも合点がいった。
途中サファリカーに乗り換え、赤い土埃を巻き上げてダートロードをさらに走ること半時間、高床式のロッジが点在する「バムルー・プレーンズ」に着いた。2泊3日を標準滞在期間とし、オールインクルーシブの宿泊料は約25万円~(2名でツインを利用した場合の1名2泊分の料金)。オーストラリア屈指の高級リゾートと言えるが、施設は意外なほど質朴だ。これは「バムルー・プレーンズ」を含む3つのリトリートを経営するワイルド・ブッシュ・ラグジュアリー社の創設者、チャーリー・カーロー氏の「アウトバックの真髄に触れてもらうための、控え目な豪華さ」を体現したしつらえである。
「ここがお客さまを受け入れるのは3月から10月までの乾季の間だけです。 雨が多く一帯が水没する期間は休業となります」とフィールド・ガイドのJが説明してくれた。「ネットワークも電話もテレビもなく、エアコンも一部のコテージを除いてありません。外界の雑念に邪魔されることなく、本当の自然を体験していただきたいからです」
ヘッドクォーターの「ザ・バムルー・ロッジ」は滞在者の共有スペースで、ダイニングとラウンジ、デッキ、プールでできている。インフィニティー・プールからは地平線まで広がる氾濫原が眺められる。点在する小型の蟻塚群は枯山水の石ようにもストーン・サークルのようにも見える。その側に 現代アートのような姿形をしたパンダナス(タコノキ)の木が飄然と立つ。
土地固有の小型で敏捷なアジャイル・ワラビーや水牛がのんびりと草を食む。幾種類もの野鳥が悠然と飛び交う。遠くのワラビーのひと群れがにわかに動く。目を凝らしてみると、一頭のディンゴ(「野犬」と訳されることが多いが、実際はタイリクオオカミの亜種で、オーストラリアとその周辺の固有種)がワラビーを急襲したところであった。
「バムルー・プレーンズ」では、ガイド付きのブッシュウォークやリバークルーズなどいくつものプログラムが用意されているが、われわれはプロペラで推進するエアーボートで湿地帯をめぐる「エアーボート・サファリ」に絞り、「やつ」とのエンカウンター(遭遇)に朝夕の時間を全て費やすことにした。
小さな埠頭からエアーボートがエンジン音を轟かせてスタートすると、水面から何百羽ものマグパイグース(カササギガン)が一斉に飛び立った。すぐに脳裏に浮かんだのはアルフレッド・ヒッチコックの映画『鳥』だった。この一帯で見られる鳥の種類は236種類に及ぶとJが教えてくれた。
この後も、光沢のあるロイヤルブルーの背中が美しいリトル・キングフィッシャー(ヒメミツユビカワセミ)や、真っ黒な嘴(くちばし)とボトルグリーンの頭部がダーティー・ヒーローっぽいジャビルー(セイタカコウ)、純白の頭部が「空の征服者」の風格を漂わせるホワイト・ビルド・シーイーグル(シロハラウミワシ)など、珍しい鳥が次々と現れ、その度にわれわれの脳内に興奮物質を横溢(おういつ)させた。
鳥の話といえば、Jがオーストラリア北部で見られる猛禽(もうきん)類の驚異的な習性について教えてくれた。「トビやハヤブサの仲間の中に、ブッシュファイヤーの中に飛び込んで、燃えさしを嘴や鉤爪(かぎづめ)で拾い、まだ火事の起きていない別の場所に運んで火をつけるものがいるんです。彼らはそうして新たな火事場を作り、逃げ惑う小動物たちを捕食する。つまり、火を使ってハンティングをおこなっているのです」
本物の大自然の中に身を置き、野生動物たちに囲まれていると、われわれは自分たちが立っているこの惑星のことをろくに知らないなとつくづく思えてくる。われわれは本当にわざわざ月や火星や深海に探索しに行く必要があるのだろうか?
『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』というスタンダードナンバーがあるが、この曲の主人公は本気で月に行きたかったわけでなく、恋愛真っ最中の高揚感を極めつきの突飛な比喩を用いて相手に伝えたかっただけじゃないか……。
その日は残念ながら「やつ」と出会うことはなく、日が暮れた。ロッジでアペリティフを飲んでいると、Jがやってきて前日に撮ったというワニの写真をスマホで見せてくれた。それは全長2.5mほどの生き生きとしたオーストラリアワニだった。この目で見たいという思いがいやましに募った。
私が滞在した「ジャビルー・リトリート」はバンガローの3面がメッシュスクリーンになっていて、厄介な虫や動物の侵入は防ぐ一方、氾濫原の空気、動物たちの気配は遮るものなしに感じられる。水道、シャワー、電源は備わっているが、先述したようにエアコンもTVもない。
快適なベッドで、夜禽(やきん≒夜行性の鳥。フクロウ・ヨタカなど)の鳴き声を聴きながら眠りに落ちた。夜中、頭のすぐ下(実際には床の下)で何者かが動く音、咀嚼(そしゃく)する音が聞こえて目が覚めた。漆黒の闇は活気に満ちていた。親和と畏怖がないまぜの、えも言われぬ感覚が胸の奥底から湧き起こった。明け方に朝の鳥が快活に鳴くのを聴くまで、私はそれまでに経験したことのない不思議なまどろみの中にいた。
「バムルー・プレーンズ」滞在最後の朝も、われわれはエアーボートに乗り込み、湿原を駆け巡った。が、結局ワニが姿を現すことはなかった。それでも、荷物をまとめ、純白のリトルコレラ(アカビタイムジオウム)に樹上から見送られてリトリートを後にしたとき私は充足感に包まれていた。
いや、「充足」では言葉が足りない。私が感じていたのはより力強い「拡張」のようなものだったと思う。
ダーウィンに戻ったわれわれは、帰国の途に着く前に一箇所だけ寄り道をすることにした。ダーウィン観光のハイライトとして知られる「クロコザウルス・コーヴ*⁵」だ。ここはワニを中心とした爬虫類の生態を紹介する施設で、巨大ワニと水中でアクリルの仕切り越しに対面することができる「死の檻」というアトラクションがツーリストに人気を博している。
私が会いたかったのは捕獲され野性を失ったワニではない! 確かにそうではあったのだが、全長5mに迫る水生生物と直近に接する機会を逸するのはいかにも勿体無い。抗うことなく私は海パンに着替え、ゴーグル&シュノーケルを装着してアクリル製の“檻”に収まり、水中に没した。
水の中にはつがいのイリエワニがいた。オスのウィリアムは全長4.6m、体重690kg、一方メスのケイトは全長2.8m、体重110kgだとボードに記されていた。実は2頭にはそれぞれ別の名前があったが2011年に英国のロイヤルウェディングを記念して「名誉ある改名」が行われたのだそうだ(ワニたちには関係なさそうな話だ)。
われわれの闖入に驚いたのか、王妃はすぐに深みに逃げ込んでしまい、それっきり姿を見せなかった。一方の皇太子は、鼻から肩のあたりを水面からもたげ、四肢と尾はダラリと水中に垂れるような姿勢で、のっそりと“檻”の周りを泳ぎ、闖入者を睨(ね)め回した。
真っ先に私の頭に浮かんだのは、意外にも、自分達だけが海パンなどという反自然なものを身につけているという羞恥の念だった。分厚いアクリル板が信用できたせいか、恐怖心は全く湧いてこなかった。アクリル板さえなければ容易に手で触れられる距離に4.6m/690kgがいた。ワニ皮然とした(という表現は妙だがそうとしか言いようがない)表皮には擦り傷ひとつなく、整然と並ぶ突起は完全性という言葉がふさわしいほど、デザイン的に非の打ちどころがなく、ため息が出るほど美しかった。
恐竜たちが跋扈(ばっこ=ほしいままに振る舞うこと)する時代には進化が完了していた目の前の生き物に比べたら、“檻”の中にいる猿のできそこないはいかにもひ弱で、醜かった。まだまだだよな俺たちは、と私は心の中でつぶやいた。
(おわり)
取材協力:
ノーザンテリトリー政府観光局
[その他各所のリンク先]
*1:チャールズ・ダーウィン サンセット・クルーズ
DARWIN HARBOUR CRUISES
*2:バムルー・プレーンズ
BAMURRU PLAINS
*3:バークハット・イン
The Bark Hut Inn
*4:ジャビルー・リトリート
BAMURRU PLAINS
*5:クロコザウルス・コーヴ
Crocosaurus Cove